その車屋さんには、一台のクーペが展示してあります。
それなりによくできていますし、壊れませんし、基本的にはいい車です。
カッコよくもないし色気もないけど、バランスは悪くありません。
なので、その車屋さんはその車をまあ気に入っています。
でも、積極的に宣伝するほどのセールスポイントもないのです。
ごくまれに、試乗してみたいという人が来ます。
単なるセダンやワゴンじゃ面白くないと思っているのかもしれません。
でも、そのへんをひと回りしてきて車から降りると、釈然としない顔で去ってゆきます。
そんなことが繰り返されて、新車で入荷してからずいぶん時間が経ってしまいました。
濃紺のボンネットは日に焼けて色は褪せ、艶がなくなってしまいました。
なぜだろう。なぜ売れないんだろう。
車屋さんは考えてみました。
スタイルはクーペです。
その後席は、座れないというほど狭くはないけどゆったり乗るのは無理という、なんとも形容しがたい広さです。
でも分類的には普通車です。サイズとして小型車の枠を超えてしまっているのです。
小型車が欲しい人には大きすぎ、普通車が欲しい人にはものたりません。
足回りはちょっと固めにしてありますが、本格的に走るのは難しいかもしれません。
粘りがありません。構造的にはスポーツカーのそれではないのです。
限界に近づくとグラつくので分かりやすいのですが、怖くて振り回せません。
本格的に走るには、排気量もちょっと物足りません。小型車限界の1998ccです。
ターボもスーパーチャージーも載せていません。単なるNAです。
力強くもなく貧弱でもないパワー、細くもなく太くもないトルクが、全域でフラットに出せます。
とても扱いやすいエンジンです。その分、面白くありません。
しかも、それはアクセルを静かに扱っているときだけです。
突然踏み込んだり足を離したりすると、回転が乱れます。
AM/FMラジオ、カセットテープ、エアコン、フル装備です。
でも、いまとなっては一昔前のものになってしまいました。
内装は地味です。色気は皆無で、黒をベースにしたファブリック。革ではありません。
ダッシュボードは当然プラスチックです。とても使いやすくはあるのですが。
基本コンポーネントはFFです。FFなので旋回性はあまりよくありません。
パワーをかけるとアンダーステアが強く出ます。
その代わりスピンはしません。
まあ、スピンする前に足回りがグラつくのでアクセルから足が離れるからですが。
ようするに、形がちょっとクーペっぽいというだけで、中身は完全に実用セダンなのです。
実用セダンを何かの気の迷いで2ドアにしてクーペとして売り出してしまったのです。
最初から4ドアセダンだとして売り出していれば、とっくに売れていたかもしれません。
でもドアが2枚というそれだけで、スポーティなクーペとしての売り方をしてしまっていたのです。
実は、その車屋さんの店頭で展示販売しているのは、その車だけなのです。
その車が売れてくれないと、車屋さんは商売あがったりなのです。
車屋さんは、手を打つことにしました。
外装をオールペイントして、内装を張り替えて、装備を最新のものにしました。
いまはフレームの錆落としをして、エンジンや足回りをオーバーホールしている最中です。
試乗してみたいという人は、ちょっと増えました。
でも相変わらず、車から降りてきた人はうーんと首をひねって帰ってゆきます。
それはそうでしょう。中身は何も変わっていないのですから。
もともと見た目はそれでもいいかと思っている人が試乗しているので、あまり関係はないのかもしれません。
問題は性能なのでしょう。
エンジンの回転がもっと扱いやすくなり、パワーが出て、姿勢がグラついたりしなければ、クーペとしての格好がつくようになるのかもしれません。
でも、車の根幹にかかわる部分に手をつけることになり、下手をするとエンジンが火を噴いて溶けてしまったり事故ったりして、売れる前に廃車になってしまうかもしれません。
それとも、思いきってワゴン車に改造して売ったりしたほうがいいのかもしれません。
でも車屋さんは、まだなんとなく諦めがつかないのです。
2ドアセダンとか銘打ったら錯覚して買ってくれる人がいないかな、と悪いことを考えています。
僕はそんな車(屋さん)です。